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SSO(スキヤキ・スティール・オーケストラ)の創設メンバーを1期生と呼んでいる。
富山県福野町[南砺市]で毎年夏に開催しているフェスティバル「スキヤキ・ミーツ・ザ・ワールド」が5回目を迎えた95年、スティールドラムの本場トリニダード・トバゴから、レネゲイズのトッププレイヤーであるブライアン・ブルーマントを呼んで、ほぼ1カ月に渡るスティールドラム教室を行った。あっという間に定員に達する勢いで集まった20数名の若者たちは、毎晩仕事を終えると会場の福野町公会堂に駆け込み、3時間のレッスンを夢中で受けていた。
スティックの持ち方から始まり、基礎練習に続いてパート別に演奏を教わる。メロディーを受け持つシングルテナー、ダブルテナー、リズム&コーラスのダブルセコンド、ダブルギター、3チェロ、カウンターメロディーの4チェロ、そしてベースの順に数小節ずつブライアンは教えていく。すべてのパートを回り終えると、全体で何回も繰り返し演奏して体に叩き込む。そしてまた次の数小節へ。万事この繰り返しである。むろん楽譜などあるはずがない。ある意味で伝統芸能を習っているかのようでもあった。
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かくして猛特訓に耐え3曲のレパートリーをマスターした彼らは、スキヤキ・ミーツ・ザ・ワールド95の前夜祭のステージに立った。彼らのあとに出演したレネゲイズと比較にならなかったのは言うまでもないが、緊張して引きつった笑顔と、荒削りだけれど力を感じる演奏を思い出すと、今でも鳥肌が立つ。ステージのあと、感動して「これで終わりにしたくない!スティールドラムを続けたい!」と言い寄ってきた彼らと、「スキヤキ・スティール・オーケストラ」という名前を決めてSSOの活動はスタートした。
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スティールドラム(スティールパンとも呼ぶ)は、ドラム缶でできたメロディー楽器である。20世紀に発明された最後のアコースティック楽器とも言われ、カリブ海に浮かぶ島国トリニダード・トバゴがその発祥の地。ソフトで美しい音色からは想像もできないが、アフリカなどから連れてこられた奴隷たちが、征服者との長く激しい闘いの中から生みだしたという歴史がある。
ドラム缶の底をハンマーで叩いて中華鍋のようにへこませ、そこにカメの甲羅のようにいくつもの面を作って輪切りにする。この面の大きさが大きければ低い音、小さければ高い音が出るというのがスティールドラムの原理。いちばん高音のパートのシングルテナーは、1個のドラムから2オクターブを超える音階が出る。低音のパートになるにつれ、ドラム1個当たりの音の数が減ってくるので、ダブルテナーやダブルギターのように2個で一組、3チェロ、4チェロとドラムの数が増え、ベースに至ってはドラム缶6本を自分の周りに置いて演奏するかたちとなる。
また、一つの面だけを叩いても周りの面が共鳴するため、となりが和音になるように配列されている。ポワワ〜ンとした独特の音色の秘密はこの辺にあるようだ。それゆえ、ピアノの鍵盤のようにドレミファが順番には並んでいない。
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トリニダード・トバゴの首都ポートオブスペインでは、毎年2月にカーニバルが開催される。国中のスティール・オーケストラが集まり、100人編成で演奏を競うコンクール「パノラマ」は、最も注目度の高いプログラムである。ブライアンが所属するレネゲイズは、パノラマ史上初の3年連続優勝の快挙を成し遂げた、トリニダード有数のオーケストラだ。
SSOは97年、このカーニバルの最終日に行われるチャンプス・イン・コンサートにゲスト出演した。結成してわずか2年の駆け出しが、スティールドラムの本場に殴り込みをかけたようなものだが、メンバーにとってかけがえのない経験となったことは言うまでもない。
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SSOデビューアルバム[ON THE ROAD]
関連ページ:Works | ワークス/CD[ON THE ROAD]>>>
結成から満5年。リーダー小山をはじめメンバーが手探りでつくってきたSSOは、同じ夢と時間を共有しながらCDをリリースするまでに成長した。結婚や転勤などでSSOを離れたメンバーも少なくないが、このアルバムを聴いて胸の中のスティックを動かしてほしい。
1期生が初めてのカリプソの曲「オン・ザ・ロード」と出会った時のことを忘れることはできない。複雑なラテンのリズムがなかなかのみ込めず、こんな企画をやらなきゃよかったと思うほどに上達しなかった苦悩の日々。メンバー全員がバッチリ決まった瞬間のあの喜び。2期生、3期生にとっても、楽曲や対象こそ違ったとしても、それぞれのオン・ザ・ロードとの出会いがあったと思う。そして、これからのSSOが出会う新たなオン・ザ・ロードに、果敢に挑戦していきたいという気持ちを込めてアルバムのタイトルとした。
スキヤキ・ミーツ・ザ・ワールドが10回目を迎える記念すべき年に、このデビューアルバムをリリースできることは、ひとえにブライアンの指導力と根気、そして福野町をはじめ、SSOとスキヤキ・ミーツ・ザ・ワールドを支援してくださる多くの皆様の力によるところが大きい。
心から感謝いたします。[2000年:米田 聡]
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